続「恋文日和」から「イカルスの恋人たち」

イカルスの恋人たち」の主演:玉山鉄二について付記します。この人の演技が上手という意見を受けて、思わず見直してしまった。

イカルスの恋人たち」は、がっちがちの堅物の兄貴が死んでしまった後、遺品の中に恋人へのビデオレターを見つけた弟がそれを届けに行く物語。堅物兄貴が大嫌いだった弟。難病にかかり、死の直前に病院を抜け出した兄貴は、2週間後に帰ってくる。そして手術のかいなく死んでしまう。遺品のビデオレターを届けに行った弟は、兄の恋人という風俗のオンナに会い、バカにしていた兄貴が真実の愛を見つけていたことに愕然とするのだった。主人公の弟役が玉山鉄二、兄役は塚本高史(そこそこうまい)、恋人役は當山奈央(素晴らしい)。

見直した。が、玉山鉄二のワンカットごとにダメ出ししてしまう私。全部のカットが違っているように感じる。半分まで見て耐えられなくなり、原作を取り出す。絵と比べる。すごいことに気づいた。「恋文日和」の他の二編が原作とほとんど同じに作られているのに対し、この「イカルス」はかなり違っているのだった。なんというか、弟の大事なセリフがたくさんカットされている。大事なシーンごとカットだ。なので、とてもわかりにくくなっているのだった。でもって、兄貴のシーンが増えている。原作になかった兄のシーンが加えられている。兄の死後から始まる物語なのだが、回想シーンが増えているのだった。

弟の重要なセリフがカットされた。いいシーンなのに。恋人の前で「あんなやつ、死んでせいせいしたっ」と叫ぶシーン、自分が書いた歌の歌詞を兄貴が大事に持っていたことを知り、「バカじゃねーかアイツっ、バカ・・・」、そして感動しながら吐く「大っ嫌いだ、テメーなんか」と寂しくつぶやくシーン。いいシーンだし、とても難しいシーンだ。でも、とても重要なのだが、カット!

さらに言うなら、クライマックス。ビデオレターを見た彼女は、テレビに映る彼と口付けをかわす。バカにしていた兄貴と彼女は、ほんとうに愛し合っていたことを知る。漫画では、その事実に感動した弟のアップで終わるのだが。泣いてしまっている弟のアップで終わるのだが。映像では、彼の背中があり、そのむこうでたたずむ彼女が見えて、そのシーンは終わる。確かに、その弟の表情は難しいけどね。

この映画、ほんとうに編集は大変だったろうなあ。もちろん、玉山鉄二の演技が稚拙だとしても、それが役者の責任とはいえない。第一、演技はうまくなるもんだ。稚拙であることと、才能がないことは別だもの。才能があれば、経験を積むことで上手になっていくことができる。どんな役者も初期の作品では、大変な思いをしてきているわけだから。現場で何があったのかはなんともいえないものだ。監督が何を要求し、それにどう役者が応えたのかで、才能は見極められる。はたして、この現場はどうだったのだろうか・・・。

そして、映像においては、役者が稚拙でも、それをカバーする編集テクがあるので、結局はすべての責任は監督に委ねられる。まあ・・・大変だったんでしょうけどね。現場で時間がなかったのかもしれないし。