パラドックス定数「怪人21面相」

友達の強力プッシュもあり、前回「大正八年永田町」に続き連続観劇。この劇団は、「ホン」を徹底的に作り込もうという意思が感じられるし、ネタの選び方にもセンスを感じるので期待していないわけではない。少なくとも、飛んだりはねたりする芝居よりは好きだ。まあ、飛んだりはねたりする芝居にも面白いものはあるんだけど。
で、嫌いじゃないんだけど、なんかいまいち違和感があるのも確か。以下、箇条書きで。

■「会場入口のドアが外界とつながってんじゃん」
この芝居、密室の謀議(ネタは80年代に起きたグリコ・森永事件)だと思うんだけど、劇場に入ってくる入口が舞台奥の4枚扉で、客席から見えてる。それもスリガラスなので、マチネだと外の明るい光が舞台に降り注いでいるという・・・。お客さんが入ってきた入口なので、夜でもそこが外界との接点である印象は残る。第一、劇場自体が芝居小屋じゃないので、防音がまったくできてないので外の音ががんがん入ってくる。会場は線路際。なので、全く「密室」じゃない。観劇の後でチラシを見たら設定として「コンクリートの密室」となってた。確かに、地下室かなんかのイメージだと思う。ということは、全然違ってんじゃん。

■「照明が暗いけど、意味がない」
前回公演も暗かった。キャストの顔が見えないほど。今回も暗かったんだけど、マチネで外の明かりがこうこうと入ってきてたので、意味なく暗いという状態。そんで、舞台奥のスリガラスが明るいため、キャストは全部シルエットになる。余計にキャストの顔が見えない。表情が読めない。第一、暗くする意味がよくわからない。芝居として「暗さ」に意味を持たせるには、バックサスなどで背中を明るくすることで作るわけで、全体が暗いのは、なんだかよくわからない。

■「場転に工夫がない」
芝居の途中で、突然芝居が止まる。で、暗転で場転となる。が、前回もそうだったが、人の出ハケのために、薄暗いままになる。音楽がかからず、単に芝居が止まっているだけの状態を見せられる。これがけっこうつらい。突然芝居が止まる感じだし。変な間ができる感じ。演劇では、みんな場転に苦労するわけで、いろんなことを無理やりやるわけだ。何もしない、という手もなくはないが、そのわりには場転前のセリフがオーソドックスなので、やっぱり唐突だと感じる。役者もそのセリフを処理しきれていない(無理だよなあ)。だいたい、何度も同じ場転のやりかたをするんだけど、時間の経過も空間の変化も全く違う場転を同じに処理するのもどうかしらん・・・。

■「時間の経過がわからないぞい」
けっこう、時系列に沿って芝居が進んでいるんだよね。で、シーンごとに時間が経過するんだけど、設定を知らないと、何が起きたのか、全く理解できない。先に時間の経過を示すセリフを入れるのは、ダメですか。ディテールがはっきりしないと、状況が見えてこないんですけど。事件のあらましを知ってる私がそうなんだから、知らない人はどうなんでしょうか・・・。

■「場転で役者が見えていいのかなあ」
そういうやり方もあるのは知ってるけど、シーンの連続性が求められていない場合は、やばいんじゃないのかしら。お客は役者を見てしまうので、どうしても連続というか、継続してしまうわけで。

■「マチネだけ明るいのでいいのか」
明るいし、日常的な音が聞こえてくるし。

■「コトバで説明されてもわからんよ」
この芝居のいくつかのシーンで、テレビドラマだったら地図とかがインサートされるんだろうなあ、単語もスーパーで入るんだろうなあ、と思うことがしばしば。すべてをコトバで説明しようというのは無理だ。逃走経路とか、会話してる人間同士だって地図で会話するはずのものを、客にどう理解できるというのか。まあ、それだけじゃなく、前回の公演でも、地図とか作業の流れ図とかがあれば理解できるのに、と何度も思った。テレビドラマなら・・・。逆に言うと、説明セリフが多いってことなんだけど。全部カットでいいんじゃないのか。

■「ようするにテレビドラマなんじゃないのかしら」
演劇として書かれてないんじゃないのか、なんて思った。ドラマと演劇との違いは、多々ある。

■「そもそも新劇だ」
新劇と小劇場および静かな演劇との違いは、第一に「人間はそんなにしゃべらない」ということ。シェイクスピアじゃないんだから、知り合い同士の会話では、そんな会話はしない、というのが平田オリザとかがやってきたこと。あるいはチェルフィッチュの岡田さんなら、「人間はそんなに硬直してしゃべらない」と言うかも。身動きせずに、必死でしゃべってたもんなあ。

■「がちがちの新劇ほどじゃないけど、結構書き言葉でセリフになってない」
新劇、とくに翻訳ものだともろ「書き言葉」というか「文章」になる。絶対に話しことばでは使わないようなセリフが出てきたりする。それほどひとくはないけど、この芝居でも状況説明が必要なせいか、けっこう説明ゼリフが多かったような印象が残った。まあ、説明しないと状況がわからないためなんだけど。でも、そこをなんとかするのが今の演劇だ。

■「これは現代史じゃなくて、空想演劇だよね」
けっこう、現代史のヤミ、みたいなとこに手を入れてるのかと思ってみてたんだけど、かなりムチャな空想でつづられていた。事件が未解決で、不明なとこが多いのだから、自由に空想して良いんだけど、その空想自体がけっこうコテコテだったなあ。背景として、部落とか北朝鮮とか内部犯行説とか、イメージ貧困じゃん、とか思ってみてた。不当解雇とかとなると、時代が違うんじゃ、とかも思ったけど。ただ、このイメージがオリジナルじゃなくて、ウワサとしてあったものだと後で知った。それじゃ貧困なのも仕方ない。シロートさんが構想したものだもんね。演劇の人なら、もっとぶっとんだイメージができるはず。ただ、なんでそういうウワサとして言われていたものを使ったのかはわからない。

■「衣装が同じにする意味はなんだろう」
前回公演も登場人物の衣装が似たものだった。それで照明が暗いのでキャストの判別がつかない。その意味は・・・。前回は設定上、それもありかと思ったが、今回は全く別のキャラなので、衣装変えたほうがいいと思ったなあ。キャラの違いが重要なんだから。ビジュアル関係なしで、セリフ芝居なんだよなあ。というか、書物で文字を読んだほうがいいんじゃないのか、この芝居。

■「そもそも事件を知らない人の立場は」
事件の概要が見えない人はどう見たんだろうか。前回公演では、事件に興味がなかったので楽しめなかった私。今回のは興味深いネタだったんだけど、詳細までは知らないので、よく見えてこなかった。事件後に生まれた人はどう思ったんだろうか。いや、途中で大体の様子は見えてくるんだけどね。でも、かなり脚色してあるんで、勘違いするようにも思ったし。北朝鮮を今の時代で使うと、全く別の様相に解釈されちゃうもんね。リストラとかも。

■「キム・デジュンって言ったか1985年に」
きんだいちゅう、かもよ。まあ、調べたと思うけどさ。あと、三つぐらいの単語が気になった。

■「怪人じゃなくてかい人」
「怪人」とは書いてないんだよな、ほんものは。あと「あほどもへ」じゃなくて「あほどもえ」だんだよな。こういうとこを変えた理由があると思うんだけど、意味がわからないなあ。ホンモノとは違う、架空の話だ、ということなんだろうか。でも、グリコ・森永だしなあ。いや、わざとだとは思うんだけど、どうしても理由がわからなかったよ。

■役者は頑張ってた。
前回よりもずっと頑張ってたので、そこだけ楽しめた。特に、最後のクライマックスで、犯罪の崩壊の危機になり、てんぱって会話してたところが素晴らしかった。あそこをオープニングにすりゃいいのに、なんて思った。あのシーンを4回ぐらいやればいいのに、とか思った。で、それ以外のシーンをもっとぐずぐずにすればいいのに、と思った。普段のシーンはもっとゆるくていいはずなんだけど、ゆるんでなかったなあ。そのメリハリがこの芝居のポイントだと思う。役者は全体的に力が入りすぎだよな。いい芝居ができる役者だっただけに、へなちょこなシーンがいまいち弱かったなあ。

■総じて
やっぱ「会場の使い方」と「新劇だよ」の2点につきる。特に後者。「人間はそんなしゃべり方はしないし、そんな動き方はしない」と、過去の先人が新劇を否定してきて新しい面白い芝居を作ったんだから、それぐらいは踏まえて欲しいと思った。平田さんの「現代口語」もそうだし、岡田さんの「ムダな動き」もそうだ。それをやれば、次の段階で、しゃべっているコトバの「説明口調」に違和感が生じて、整理されるんだろうから。

なんか、「難癖」つけてるみたいだね。すみません。自由にやってください。