「レイクサイドマーダーケース」@ツタヤDVD

16本の映画の感想文がたまってるが、その16本の中で2番目に良かった(1番は「モーターサイクル・ダイアリーズ」)。

原作は東野圭吾の「レイクサイド」。有名私立高校を受験する子供を持つ3家族が、受験のための親子合宿に集まった。塾の先生の指導のもと、子供は勉強、親は面接の受け方などを学ぶ。で、起きる殺人事件。主人公の役所広司の妻・薬師丸ひろ子が、訪ねてきた役所の愛人を殺してしまったのだと。事件の発覚は受験に差し支えると、死体をみんなで処理。湖に遺棄する。が、事後の工作の中で主人公は事件の真相に行き当たってしまう。真犯人は別だ、と。とんでもない社会背景が浮かび上がってくる。

こういう映画は、表層だけを見るとただの二時間ドラマに感じてしまうわけだ。何を描いているか、というのが伝わらないのだった。というか、「現代社会が抱える問題点」というのを指摘する作品というのは、現代社会を肯定して生きている人には、それなりに腹立たしかったりするため、伝わらないのだった。

この作品、というか原作が描いているのは「サスペンス」でも「ミステリー」でもない。「愛する家族を守るため」という大義名分のもとでどんどん深みにはまっていく人々の姿だ。それはまさに、今のアメリカと日本の姿にほかならない。「愛する家族を守るため」を否定できない私たち。そのためだったら、殺人だって、殺人の隠蔽だって、「仕方がない」。子供の未来を犠牲にしてまで、家族を警察に突き出すことはできないだろう、と言うわけだ。

誰だって戦争は否定する。罪のない人を殺戮することは間違っている。でも、家族の幸福とバーターだったらどうするのよ、と問われたとき、答えは「仕方がない」しかないのだった。選択肢が「二者択一」になった時点で負けなのだが、それを指摘する人は多くない。

この映画は、するどいとこを描いている。答えに窮する問題を問いかけている。殺人の隠蔽をする人々を非難できないのだった・・・せつない。

ところで、湖に遺棄したあと、湖畔の車にもどってくると、待っていた男の足元のすいがらが、次のシーンで消えているという、まるでデビット・リンチのようなカットは何? 監督の青山真治は、デビット・リンチをばりばり意識してると思うのだが、違うのか? 誰か指摘してないのか?

allcinemaonline
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=321121