「誰も知らない」@日本映画専門チャンネル(スカパー)

2004年のカンヌで主演男優賞を獲った作品。監督は「ディスタンス」の是枝裕和。2004年のカンヌは審査委員長がタランティーノで、先に良い作品を選び、それぞれに賞を一つずつ分けたという噂が。ほとんど演技らしい演技をしていない柳楽優弥が主演男優賞というのは・・・でも、確かに印象には残る。芝居としては、長女役の子のほうがすごいと思ったが、存在感としては確かに柳楽くんだ。

あと、なんだかんだ言っても、賞を獲ることで作品が注目され、多くの人が見たのは確か。その意味で、タランティーノの賞の挙げ方は正しいのだと思う。賞がなかったら、「ディスタンス」と同じく、注目されることはなかったろう。

作品は、1988年に実際に起きた子供置き去り事件がモチーフになっている。アパートに小学生の子供たちを置いたまま、家出してしまった母親。残された子供たちだけでの共同生活が続く。お金がなくなり、電気やガスも止められ、事故がおき・・・。

こういう事件っつうのは、日本の恥、だと思うが、どうなんだろう。「バッシング」とか「A」とか、日本のやばい部分を映画に記録し発表しようというのは素晴らしい。しかし、それを「感動した」とか「素晴らしい」とか評価しているのを聞くと、なんか居心地悪い。描かれた内容は、ほんとに恥ずかしいことなのだから。作り手側としても、内容にギロンが起きず、表面的な部分だけを評価されてて、不満じゃないのか。

事故がおき、下の妹がなくなり、兄が捨てに行く、という状況の悲惨さ、よりも、それを「誰も気づかない」ということが重要なのじゃないのか。残された兄弟はまた日常に帰っていくし、彼らの帰る場所は私達の普通の社会なわけで、こっち側なわけで・・・。そういう声にならない悲鳴を上げている兄弟は、いっぱいいるんじゃないのか。そういうのを抱え込む社会って、なんなんだろうか・・・。

しかし、なんで誰も気づかなかったんだろう、と思わずにはいられない。見ていて、やばいなあああ、と思っていた。どんどんやばくなっていくし。絶対に事故がおきると予想できるし。できれば火事がいいなあ、と思ってた。火事なら周りが気づくから。しかし、先にガス止められちゃった。家の中でなんか燃やして料理すりゃいいのに、とか願ってたりしたが・・。

最初に気づくのは大家だろうが・・・実際のアパートには大家なんていないもんなあ。不動産屋が代理で管理してるだけだもんなあああ。家賃遅れて、ちゃんと調べられるまでには、3ヶ月ぐらい経つんだろうなあ。

「ディスタンス」のときも感じたけど、是枝監督は実際に起きた事件をオブラートにくるんで映像化するため、実際の事件のインパクトや問題点があまり伝わらない。というか、あえてストレートになるのを避けているんだろうけど、映像が美しすぎて、描かれていることを見逃してしまう。とんでもないことが描かれているのに。なんか、平田オリザの芝居のようだ。ちゃんと伝わっているのか、心配になる。